【動画・参加記】「ロシアのジェンダー状況:過去から現在へ」(2022.6.30)が開催されました。
2022.07.22
ニュース
2022年6月21日(火)、実社会のための共創研究セミナー「ロシアのジェンダー状況:過去から現在へ」が、人間文化研究機構(NIHU)プロジェクト「東ユーラシア研究」北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター拠点と、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター境界研究ユニット(UBRJ)の共催で、オンライン開催された。今年度から始動した人間文化研究機構「東ユーラシア研究」で、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター拠点は「越境とジェンダー」をテーマとした共同研究を実施する。その最初のセミナーとして、ロシアのジェンダー問題に詳しい五十嵐徳子氏(天理大学)を招いて、議論が行われた。
なお、このセミナーは、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターのプロジェクト「国際的な生存戦略研究プラットフォームの構築」の一環としても、位置づけられている。
セミナーの模様を動画で視聴することができます。こちらをクリックしてください。
【報告要旨】
ロシアのジェンダー状況:過去から現在へ
天理大学 五十嵐徳子
ロシアのジェンダー状況と一口に言っても、非常に広く、社会、経済、政治、文学など多岐にわたる分野でのジェンダー研究がある。報告者がロシアのジェンダー研究を始めたのは1990年代半ばからである。ソ連解体前後からそこに住んでいる人々の意識を把握したいと思い、現地でのアンケート調査やインタビュー調査を始めた。現地での調査を重ねるうちに特にロシアの女性が仕事や家庭に対してどのように感じているのかということをより知りたいと思うようになった。そして、その興味や関心がジェンダー研究へとつながっていった(※1)。ロシアの人々を対象としているジェンダー研究ではあるが、実際には「私はどうだろう」という自分との比較をするようになっていった。
その後、ロシアのジェンダーのみならず、旧ソ連の国々においてもアンケート調査やインタビュー調査を実施し、比較による分析を行ってきた。旧ソ連のジェンダーの状況は様々であり、民族の文化や習慣などが大きく関係していることも明らかになった(※2)。また、ロシアの中のムスリムが中心のタタールスタンでの調査を行うことで、ロシア全体のジェンダーにも差異が存在していることも確認した(※3)。研究をすすめるうちに、女性も仕事をするということが一般的であったソ連時代を経験した旧ソ連の中で近代化の産物である専業主婦が大量に誕生するのかどうかということに関心を持つようになった。
更に、旧ソ連という枠組みの中でのジェンダーの状況の変化は、例えばロシア単独での変化ではなく、旧ソ連の特に中央アジアからの移民の女性がロシアへ出稼ぎに来ることで相互に影響を与えているという状況が明らかになっている(※4)。また、ロシアの女性のこれまでの仕事と家事と育児の3重の負担は、高齢化に伴い介護も加わり4重になっているのではないかという疑問から、ロシアにおける高齢者介護の問題にも取り組むことになった。超高齢化社会の日本での状況と比べるとロシア人は早死だから、高齢化の問題は重要ではないのではないかと言われたが、実際に現地調査を行うと、高齢化問題は存在し、またそのケアを中央アジアからの移民の女性あるいはウクライナの女性などが担っている状況が明らかになった。そして旧ソ連のジェンダーは旧ソ連の中で相互に影響を与えあっているということも分かった(※5)。
本発表は、筆者のこれまでの研究テーマに関係のある、ロシアの女性の仕事、家族、性別役割分担意識に焦点を当てている。
(※1)ロシアのジェンダー関係で初めて学会発表したのが1997年10月5日のロシア・東欧学会第26回大会(於 京都大学)であった。発表題目は「ロシア人女性の労働と家庭に関する意識状況」であった。その発表を活字にしたのが以下の論文である。五十嵐徳子(1998)「ロシア人女性の労働と家庭に関する意識状況―サンクト・ペテルブルグでの調査を中心に―」『ロシア・東欧学会年報』第25号、pp.110-119.
(※2)五十嵐徳子(2003)「ポスト社会主義における旧ソ連のジェンダーの現状:ロシア、グルジア、ウズベキスタンの事例より」『ポスト社会主義圏における民族:地域社会の構造変動に関する人類学的研究-民族誌記述と社会モデル構築のための方法論的・比較論的考察-』平成13年度〜平成14年度科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書、国立民族学博物館、13頁
(※3)五十嵐徳子(2008)「タタルスタンのジェンダーの状況」『多文化多世代交差世界の政治社会秩序形成―多文化世界における市民意識の動態―、ロシア』横手慎二・上野俊彦編、慶應義塾大学出版会 、pp.89-114.
(※4)五十嵐徳子(2016)「ロシアと中央アジアにおける労働力移動とジェンダーの変容」 『ドイツ統一から探るヨーロッパのゆくえ』 法律文化社、pp.158-173.
(※5)Igarashi N.(2018)Elderly care in Russia and sidelka from Central Asia”Gendering Postsocialism”, Routledge, Edited by Yulia Gradskova, Ildikó Asztalos Morell, pp. 37-53.
五十嵐徳子(2019)「ロシアの高齢者介護」『新 世界の社会福祉:第5巻 ロシア・東欧編』仙石学編、旬報社、pp.75-126.
【参加記】
討論者の堀江典生氏(富山大学)からは、ソ連時代からの文化規範の持続性の問題と、自由民主主義・市場経済社会の中で、豊かになれば、男女平等社会になっていくはずだという、前提となる西欧・アメリカの価値判断そのものが問われるのではないかと、議論が提起された。つまり、社会主義時代からの、女性は家庭外の仕事を持つべきだ、女性は家事・育児を担うべきだという、独自のジェンダー規範が社会全体にすでに埋め込まれており、それは現代ロシアの介護などの制度設計においても見られるのではないか、ということである。価値判断に関して、自由民主主義・市場経済社会の価値判断と旧社会主義国家のそれには、ズレが存在し、そのことを意識する必要がある。例えば、旧社会主義国家における「高等教育」と「男女」の賃金格差を分析すると、これらの社会での市場経済化の進展は、むしろ教育効果を薄め、男女の賃金格差を広げている傾向が見られる、という。こうしたことを西欧的価値の普及の遅れとみなすか、文化構造の根強い生き残りとしてみなすべきかどうか、判断が難しいと指摘した。
もう一人の討論者、中地美枝氏(北星学園大学)は、文化行動の歴史的な連続性、文化行動における教育の役割について、論点を提示した。つまり、労働意識は、ソ連時代からの継続であると考えられるが、家事・育児の分担をまったく不満に思わないというような、性別役割分担意識は、ソ連と継続性があるものなのか、それとも変化したものなのか、という質問が出された。また、ソ連時代の「性教育」は、実際は性別役割分担を教えるものであったが、それは現在のロシアでも同じなのか。さらに、人口問題など、ロシアのジェンダー政策に大きな影響を与える要素はあるのかどうか等、ソ連時代との比較の重要性について、争点が示された。
その他に、セミナーでは、東アジアの家父長制社会との比較、都市部と農村部の比較、都市部での地域差、少数民族との比較、ロシア男性の意識、ロシア人の家政婦が少ない理由などについても、議論が行われた。ジェンダー規範にとどまらず、社会の隅々に埋め込まれている文化規範を分析するためには、どのような価値判断や分析視点の工夫をすべきか、という点を改めて考えさせられる貴重なセミナーとなった。
井上岳彦
人間文化研究機構人間文化研究創発センター研究員
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター特任助教